うすい学園柴崎代表に直撃インタビュー

2017.07.28 勉強のコツ
うすい学園 代表インタビュー

 

うすい学園の柴崎龍吾代表はFM群馬や月刊パリッシュで、県内の経営者をゲストに迎え、インタビュアーとしても活躍していらっしゃいます。そんな柴崎代表を逆に、インタビューしてしまいましょう。3回シリーズで柴崎代表に、ご自分の事、経営者としての考え方、今後の教育について語っていただきました。

(インタビュアーは元月刊パリッシュ編集長 土屋)

 

 

――どうして塾を開校したのですか?

柴崎 私は、学校は嫌いだったけど、勉強はなぜか嫌いではなかったな。なんにでも興味がある、好奇心旺盛な子どもだったような気がします。その好奇心の延長線上に勉強があったから、そんなに嫌じゃなかったのだと思いますよ。

性格的に、型にはまることが好きじゃなくて、自分のやりたいことがあると夢中でそれをやっちゃうという感じでしたね。

大学を卒業するときは、文章を書くことに夢中になって…。たまたま出会った作家の新田次郎氏の弟子というか、お手伝いをさせてもらいながら、FM東京の番組のシナリオなんかを書いていたんです。演劇も好きでね、演出なんかもやってましたよ(笑)

でもそれじゃ食べられないじゃないですか。だから、週に2回くらい群馬県の松井田町で塾をやり始めました。そうしたら、どんどん生徒が増えて、結局シナリオを書いてる暇がなくなってしまったってわけです。

 

――当時はどんな塾だったのですか?

柴崎 田舎だったせいか、あまり勉強が好きじゃない子が多かったかな(笑)。そういう子が、ちょっと勉強ができる様になると、どんどん自分から勉強するようになるんですよ。

“テストの点を取るコツ”とか、“こういう風に考えると問題が解けるようになるよ”とか。あとは、勉強が得意な子が苦手な子を教える。むしろこっちの方が効果があったね(笑)これは両者にとってスゴイ価値があるんだということに気づきました。どんどん子どもたちが勉強を好きになる。当然勉強もできるようになって…。

もともと子どもが好きだったから、子どもの心も掴みやすかったんだね。

勉強を教えるというより話を聞いてやるっていうスタンスでしたね。

 

――塾の経営にスイッチが入ったきっかけは?

柴崎 高崎にうすい学園を出すときに、いろいろ考えました。すでに大手の塾も開校していたし。もともとみんながやっていることをやるのは好きじゃなかったから、うすい学園ならではという独自なことをやらなければと思いました。

当時、英語に力をいれている塾がなかったから「よし、うちは英語LL教室をやって特色を出そう」と思いました。そのころからかな、真剣に塾経営に取り組もうと思い始めたのは。

 

Vol.2へ続く

 

うすい学園の理念は「生徒の可能性を最大限に広げること」

 

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